更新が大変滞っていた理由を簡単に書いておきます。
年度末とか年度始めということで仕事が忙しかったというのも勿論あるんですが、先日大学時代からの友人が急逝したため、学習に専念出来ない状況が続いています。うーん、ちょっと体調も、一時的にだと思いますが、よろしくなくなっています。
ちょっと予定通りにいっていないのですが、学習は続けます。
今週末はALCの日本語教育能力検定のセミナーに行ってきます。
上述の旧友のお母さんが日本語教師で、私が今日本語教師の学習をしていることを聞き、彼女が非常に喜んでいたのを思い出します。
以前書いた通り、絶対に職業として日本語教師になろう!と思って学習している訳でもないですし、勿論その旧友の為に学習を続ける訳でもありませんが、興味を持っていると自然にいろんなご縁が生まれてくるようで、別の知人も実は日本語教師の仕事をしていることを知ったりとか、そんなようなことが起きつつあります。
自分でどこまでコントロール可能かは分からないのですが、出来る範囲でスケジュールやto doをまとめ直して再スタートする予定です。以前のように毎日書くことを目標にせず、ぼちぼちという感じにしばらくはなると思いますが、よろしくお願いいたします。
(・・・って、このブログ自体、そんなに読者がいる訳でもないんですがね)
・・・という前回のエントリーとは裏腹に、友人のお店のホームページを作ろうと思っているのです。大学時代からの気の置けない男友達で、学生時代は旅行ばかり行っていて卒業後旅行代理店に入ったものの、ある日突然「俺はパン屋になる!」と有名店に修行に入り、数年の修行ののち、昨年念願のオーナーシェフとして自分の店をオープンさせました。
ここ数年は年賀状だけのやりとりだったんですが、今年の年賀状にはお約束な感じで「ホームページ作って~☆」みたいなことが書いてあったので、半ば社交辞令なんだと判断して「へーい」と聞き流していたんですよ。理由は前回述べた通り。
ところが先日いきなり電話がかかってきまして、「最近いよいよホームページが必要になってる気がするんだけど、全然分からないから相談に乗ってくれないか?」と。その場で思いついたことをつらつら話したり訊いたりしました。仕事でサイトを作る際に一番最初に行うヒアリングって感じで。その中で私に出来ること(+私の職業について)も併せて話したんですけれども、
「うわあ、じゃあプロなんじゃん。
おれ、金ないから専門の業者に最低限のことしか頼んでなくて、
店のロゴも友達に作ってもらったし、棚も自作だったりするんだよ。
だからパンでしかお礼出来ないんだよなぁ、困ったなあ」
この一言で心が決まる。
よし。パンで手を打とうじゃないか。
ていうか私も応援したいんだよ、君のこと。
「あ、なんなら今店終わったばっかなんだけど、売れ残ったやつまとめて送ろうか?」
「売れ残の処分かよ!失敬な!(笑)」
それは冗談で、定期的にちょっとずつパンを貰えることになったのです☆
あまり気合いを入れすぎると奴が恐縮しそうなので、私が個人的に彼の店のファンサイトを作るような気持ちでスタートするつもり。
素材となる写真、撮りに行かなくちゃな。楽しみだ。
私は時々Webディレクターとして働いています。Webページのグラフィックデザインをする仕事ではなくて、サイトの目的や機能を明確化し、情報を整理し、サイトの構成を考え、デザイナーやカメラマン、ライターやイラストレーターなどを選び、スケジュールと工程管理、予算管理を行い、最終商品の品質に責任を持つ仕事です。私の場合は文章は自分で書いてしまったりもするんですが。どちらかというと企画や編集に近い仕事と言えそうです。
時々、ホームページ作ってよ、と言われます。一応自分で作った個人サイトは持っているので(今放置中だけど)、まあ一般の人が作る程度のhtmlやcssの知識、グラフィックソフトの簡単な操作くらいは出来る・・・と言って差し支えないとは思います。
だけどね。
自分がフリーランスとして「お品書き」に乗っけている領域の能力を、知り合いだからって理由だけで無償提供はしたくないんですよ。上述の通り、「作る」実務に関しては私はプロとしてギャラをいただいていないので、作る部分ならタダでやってあげるのは全然構わないんです。それは自分で「売り物に出来ないもの」だと自覚しているから。
実際、「ホームページ作ってよ」と言われる時には、単にhtmlファイルを作成するだけってことはまずなくて、その前段の、まさに私が仕事としている領域の知識などがたいてい要求されることになるので、必然的に「完全にタダ」という値付けは私の価値観の中ではなされないことになる訳です。
日本人てお金に言及することをなんだか浅ましいことのように感じがちなようで、私も会社勤めの頃はそうだったんですが、いわゆるフリーランスとして「自分の腕で食ってる」人達と接する中で、その価値観がずいぶん変わりました。
ボランティア精神て美しいかもしれません。
でも、ボランティアを無神経に求める精神は、あんまり美しくないと思いますね。
一度成り行き上無償でお手伝いした仕事があったんですが、モチベーションを保つのがものすごく難しくて驚いたことがあります。気力がみなぎっていないので仕事のレベルがどうしても落ちてしまい、それに気付いて自己嫌悪に陥るという、後味の悪い仕事でした。いつも、求められているレベルの120%の仕事をする人間だった筈なのに!
考えてみると、お金が貰えないことが問題じゃないんですよ。その仕事を、「お金を払う価値がある」と認めて貰えているかどうかの問題なんだと、その時感じました。認めてもらった上で、やむを得ずお金が払えない事情があるというなら、その事情を汲んだ上で何をどこまでやれるか、やるか、自分で決められるからいいんです。
それが出来ていないとき、感覚としてはむしろこうです。「お金すら払ってもらえない仕事を”仕事”としてやっている自分の価値って・・・」。他のところでは胸を張ってプロフェッショナルとしてギャラを貰ってやっている仕事に対して、それって失礼なんですよ。自分の中で。プロとしてのレベルを保つためにしている努力とか勉強とか経験とか、全部ひっくるめて、それを辱めているような気がしちゃうんですよ。
相手の能力に対する敬意の問題、礼儀の問題なんだと思うんです。だから私は友人のカメラマンに個人的な写真を撮って貰うときには、ちゃんとギャラの交渉をして、そりゃ一般価格よりはかなりおまけしてもらいますが、それでも相手が納得する金額を払うことにしています。だって、私は彼のプロカメラマンとしての専門能力を尊敬しているから。
お金を介在させることがイコール「水くさい」という価値観はあるのでしょうが、それは気軽な「持ちつ持たれつ」とか「お互い様」という感覚が通じる、日常の些細なことだったりするように思います。それには反対はしません。だけどそこにだって対価としてのお返しという考え方はある筈で。
無茶苦茶尊敬している敏腕ディレクターの女性が、「ちょっと知恵借りたいんだけど、いい?」と声をかけられた時、花のようににっこり笑ってこう言いました。
「お金くれたら仕事する~☆」
彼女は一度プロジェクトが始まると、もうその仕事しか見えないというくらいがむしゃらに突っ走る人です。寝食を忘れて仕事に没頭し、すさまじく高いクオリティの仕事を成し遂げてしまう力を持っています。だからこそ、彼女の能力を文字通り「高く買う」人が後を絶たない訳で、それは彼女に対する敬意と礼儀でもある訳です。それってものすごく健全な関係だと思うのですよ。私、隣にいて胸の空く思いでした。
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「お金にはならないけどやりがいのある仕事」という言葉を安易に遣う人は嫌いです。「安易に」、ですよ。やりがいとギャラが別物なことはよく知っているつもりです。
それとは別に、プロフェッショナルとして仕事をするということについてきちんと考えて欲しいと思ったんです。私に、「ねえねえ、Webデザイナーやってるんでしょ?だったらちょっとうちのホームページ(タダで)作ってよ」と言うような人にはね。
お金をくれたらやったげる。
私、プロだから。プロとしてのクオリティの仕事する人だから。
chinesepod.com、中国語ジャーナル、BBCシャドーイング、中国語シャドーイング等々、語学コンテンツ満載の私のiPod nanoに、NAFLのテキスト付属CDが何枚か追加されました。
トラック1のオープニング音楽が無駄に長くておかしいです。
お昼に作ったそら豆とベーコンのパスタが思いの外脂っこくて胃もたれを起こしてしまったため、今日も昼間数時間寝てしまいました。ので夜はこれからさ。ふ。勉強します、iPod使って。